大江戸今昔めぐり瓦版

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便利?不便?隅田川に架かった5つの大橋

ブログ連動スポットラリー

今回は第3回。

遥か江戸時代から隅田川に架かる5つの大橋を網羅するラリーです。

それでは本編です!

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みなさんこんにちは。

 

最近になってようやく本格的ながきたと思ったら

あっという間に年の瀬

 

「瀬」という言葉には

「川の流れの急な所」といった意味があるそうで

その言葉のとおり、年末というだけで

なぜだか心が慌ただしく忙しないですよね。

 

それはきっといつの時代も同じで、

せっかちで知られる江戸っ子の年末年始も

超々大忙しだったのではないでしょうか。

 

そんなせっかち達の悩みの種?だったのが

交通の便ではないでしょうか。

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とくにこの隅田川は大きく広く

大江戸の内と外との境界線になっていました。

 

旧くはこの川を渡るための船着き場や渡し船が整備され、

隅田川の渡し」として多くの人に利用されていましたが、

江戸幕府が興って以降、防備上と利便性の観点から、

江戸時代の間に5つの大きな橋が架けられました。

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今回は、

この5つの大きな橋を、

下流から上流に向かって散策しました。

 

それぞれの橋の違い、街並みや空気の移り変わり、

また架橋当時の風景に思いを馳せながら散策しました。

 

まずは下流から数えて1つ目の橋(江戸末期当時)

 永代橋(えいたいばし)」を散策。

 西岸:中央区新川一丁目 東岸:江東区佐賀一丁目

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門前仲町駅からほど近く、都心と下町をつなぎ、

橋を渡ると違う世界を行き来したような感覚も。

←これは言い過ぎだけど、それくらい街並みが変わる

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とくに日没からはライトアップされた街並みを

360°見渡せる夜景スポットにもなっています。

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続いて向かうのは、

門前仲町駅から電車で2駅の森下駅のほど近く

 

下流から数えて2つ目の橋(江戸末期当時)

 「新大橋(しんおおはし)」です。

 西岸:中央区日本橋浜町2・3丁目 東岸:江東区新大橋1丁目

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この橋は以前にもブログで紹介しましたが、

当時と現代とで橋の架かる場所が違っています。

 

また、上で紹介している「大はしあたけの夕立」の絵は、

あのゴッホが大きな影響を受けたとされています。

 

ゴッホが実際にこの橋に来た可能性は極めて低いですが、

きっとこの絵から何百回、何千回と

「新大橋」の景色を想像したことでしょう。

  

続いて向かうのは、

新大橋から上流へ向かい少し歩いて15分

川辺に沿ってずっと歩いて行けるので気持ちがいいです。

 

下流から数えて3つ目の橋(江戸末期当時)

 「両国橋(りょうごくばし)」です。

 西岸:中央区日本橋二丁目 東岸:墨田区両国一丁目

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ここは当時、西側が武蔵国、東側が下総国

2つの国にまたがっていたことから俗に両国橋と呼ばれ、

その俗称が今も地名として残っています。

 

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また、上の江戸百景の絵からもわかるように、

当時は木橋で損傷や焼失が多くあったそう。

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いまでこそ鉄橋(コンクリート)なので車の往来も盛んですが、

木橋だったら絶対NGですよね。ひとたまりもなさそうです。

 

続いて向かうのは、

両国橋最寄りの浅草橋駅から電車に乗って二駅

浅草駅の目の前!

 

下流から数えて4つ目の橋(江戸末期当時)

 吾妻橋(あづまばし)」です。

 西岸:台東区雷門二丁目 東岸:墨田区吾妻橋一丁目

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ここは言わずと知れた観光地、

浅草のメインブリッジ?と言っても過言ではないでしょう。

多くの観光客が訪れ、橋の欄干はいつも人でいっぱい。

記念写真を撮る人であふれています。

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念のため筆者も一枚。定番を詰め込んでみました。。。

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肝心の「橋」はというと、、補強工事中。

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これからも多くの人々の往来と観光を支える所存です。

の声が聞こえてきそうですね。

 

続いてはちょっと離れて、

浅草駅から電車に乗って一駅

南千住駅から歩くこと約10分の場所

 

当時の隅田川における最上流の橋

 千住大橋(せんじゅおおはし)」です。

 北岸:足立区千住橋戸町 東岸:荒川区南千住六丁目

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この橋は、隅田川に架けられた最初の橋と言われています。

この場所は東西の川幅が広いのに対し、

架橋された場所は川幅が狭いので流れが急で、

工事が難航したであろうことが容易にわかります。

 

河川の整備も進み、いまはこんなにも穏やか。

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また、橋のふもとには「足立市場」もあり、

早朝などは流通の要所として機能しています。

 

壁にはこんなグラフィックも。

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この千住大橋は、かの有名な、

「おくの細道」の始点としても有名ですが、

それはまた別の機会に。

 

ここまで5つの橋を巡ってきましたが、

いかがでしたでしょうか。

 

この大きく広い川を足で渡れる場所が5か所しかない

というのは、相当不便だったと思います。

 

ただ、江戸以前はこの5橋すらなく、

さらに不便だったことを考えると、

川の内外には相当な恩恵があったことと思います

 

ちなみに令和の隅田川に架かる橋はこんなかんじ。

(高速道路による架橋を含みます)

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いまや内も外も関係なく、

おなじTOKYOとして人も物も、

そして生活そのものが交流しています。

 

江戸から東京にかけての超高度成長に

燃料を送り続けた大動脈(隅田川に架かる橋)は

今も昔も人々を支え続けています。

 

そんな成長著しい忙しい毎日でも、

年末年始のお休みくらいはゆっくりと、

大事な人と古地図片手に「歴史散歩」をたのしんで。

 

みなさま良いお年をお迎えくださいませ!

 

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