大江戸今昔めぐり瓦版

江戸時代末期の朱引きを網羅した復元古地図を「完全描き起こし」! 現代の東京の地図と切り替えながら閲覧できる、画期的な古地図アプリです。

”江戸の歌舞伎”<祝!ブログ連動スポットラリー企画開始>

11月より、ブログで紹介されたスポットアプリのスタンプラリー機能確認できるようになりました!!!

アプリとブログを組み合わせて、より充実したお出かけのお手伝いが出来ればと思います。

 

今回は第1回目!

江戸歌舞伎ゆかりの地をめぐるラリーです。 

 (アプリをダウンロードしてない方は、こちらから)  

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アプリ画面の上部にあるスタンプのマークをタップするとラリー一覧が表示されます。

表示された開催中のラリーのうち、

ブログ連動スポットラリー

を選択してみましょう!

 

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このスタンプラリーに参加する!ボタンをタップすると

参加申し込み完了です。

 

では、今回のテーマ

江戸歌舞伎”について、

ラリースポットとともにご紹介します! 

 

1600年頃、京都で出雲阿国が踊った『かぶき踊』から

始まったとされる歌舞伎。

 最初は寺院の境内などで演じられていたかぶき踊りも

町人の娯楽として定着してくると、芝居小屋が沢山出来たそうですが、

風紀を乱すという理由で、

江戸中期からは幕府に興行を許された四つの座が、

後期には三つの座が歌舞伎を上演していました。

 

芝居小屋の正面に櫓(やぐら)が揚がっていることが幕府公認の証。

歌舞伎座の正面、唐破風の屋根の上にも櫓が揚がっているのが見えますね。

 

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幕府に興行を許され江戸三座とよばれた歌舞伎の芝居小屋は

中村座 市村座 森田(守田)座

です。

 

あれ?? 歌舞伎座はないの? と思って調べたところ

歌舞伎座の開場は明治22年(1889)

江戸時代には存在していませんでした...

  

では、江戸三座をご紹介します。

 

中村座  

定式幕は左から 黒  柿色

「白」は中村座にしか許されていない特別な色で、

現在、中村勘三郎の襲名披露や平成中村座の公演などで使われています。

 

前身は猿若座といい、江戸歌舞伎の発祥

といわれる芝居小屋です。

京都から移り住んだ猿若勘三郎(のちの中村勘三郎)が

中橋南地(現在の中央区京橋1丁目付近)に立ち上げています。

 

地図の四角で囲んだあたりにあったようですが、今は残念ながら痕跡がありません。

 

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そのかわり、少し離れた京橋のたもとだった場所に

江戸歌舞伎発祥之地碑(ラリースポット1)を見つけました!

 

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猿若座は、数年後には禰宜町(現在の中央区日本橋堀留町2丁目付近)へ。

さらに慶安4年(1651)には堺町(現在の中央区日本橋人形町3丁目付近)へ

移転しました。

堺町移転時に中村座と改称しています。

  

堺町(ラリースポット2)あたりの古地図を見てみると

玉ひで千疋屋など老舗の名前がみつかります。

 

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今でも人形町は下町風情溢れる賑やかな町ですが、

ラリースポットにある案内板を読んでみると、

江戸時代も、堺町と隣の葺屋町には芝居小屋・人形浄瑠璃の小屋、お茶屋

などが集まり大変賑やかだったようですようね。

 

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この地に200年近くあった中村座は、天保12年(1841)に失火により全焼。

この時期行われていた天保の改革の倹約令により、中心地から遠い

浅草聖天町(のちの猿若町)(現在の台東区浅草6丁目付近)に

翌年再建されます。

 

明治時代には政府から移転を勧告され

浅草西鳥越町(現在の台東区鳥越1丁目付近)に移転後

明治26年(1893)に廃座になっています。

 

 

市村座

定式幕は、左から 黒 萌葱(濃い緑) 柿色

 現在、国立劇場で同じ定式幕が使われています。

 

承応元年(1652)、葺屋町にあった村山座の興行権を

三代目市村宇左衛門が買い取り改称してできた芝居小屋です。

 

長らく葺屋町(ラリースポット2)で興行をしていましたが、

隣町の中村座から出た火事の類焼で市村座も全焼してしまいます。

 

そして、中村座と同じく、天保の改革の倹約令により移転され、

浅草聖天町(のちの猿若町)(現在の台東区浅草6丁目付近)に

翌年再建されます。

 

明治時代には政府から移転を勧告され下谷二長町に移転。

大正時代には松竹に経営権を譲渡し、昭和7年(1932)に廃座となりました。

 

 

森田座

定式幕は、左から 黒 柿色 萌葱(濃い緑)

現在、銀座歌舞伎座や京都南座をはじめ多くの劇場で使われています。

 

万治3年(1660)、森田太郎兵衛により木挽町(現在の中央区銀座6丁目付近)に

建てられた芝居小屋です。

 

この場所で森田座(ラリースポット3)の案内板を発見!

 

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森田座は控え櫓の河原崎座に代行させることも多かったようですが、

この地で興行を続けていたところ、天保の改革に取り組む幕府から

中村座市村座が再建された浅草猿若町へ移転するよう命令があり、

天保14年(1843)に移転。のちに守田座と改称しています。

 

明治になると、他の二座と同じく政府に移転を勧告され

新富町に移転、新富座と改称後に経営権を松竹に譲渡、

大正12年(1923)の関東大震災で被災し廃座となっています。

 

 

さて、江戸三座の歴史を大まかに追ってきましたが、

三座とも天保の改革の時期に同じ町に移転

させられていたのに気づかれましたか?

 

次は、その町 浅草猿若町(あさくささるわかまち(ちょう))

に足を運んでみたいと思います。

なにか痕跡は残っているのでしょうか?

 

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浅草の浅草寺から北東方向に歩いて5分ほどの道の入り口に

江戸歌舞伎 猿若三座の町 猿若町

の幟がはためいています。

 

大江戸今昔めぐりで古地図を見てみましょう!

 

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幟のある角(赤い★印)から道に入って歩いてみると、

三座の跡地には石碑や灯籠型の案内が見つかりました!

 

古地図・猿若町一丁目の場所に中村座(ラリースポット4)

二丁目に市村座(ラリースポット5)

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左が中村座跡 右が市村座

 

三丁目に森田(守田)座跡(ラリースポット6)

道すがら、浅草猿若町の石碑も発見しました。

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左は森田座守田座跡 右は浅草猿若町の石碑

 

当時は、江戸の中心地から外れた場所とはいえ、

庶民は浅草寺にお参りするのを口実に芝居見物を楽しんでいたようで、

名所江戸百景(90)猿わか町よるの景(ラリースポット7)

に描かれた灯のともる森田座(右手前側)と

月夜に町を歩く大勢の人に賑やかさが見てとれます。

 

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旧浅草猿若町を訪れた後は浅草寺周辺にある

 

九代目市川團十郎「暫」の像 (ラリースポット8)

河竹黙阿弥翁住居跡之碑 (ラリースポット9)

 

という、歌舞伎に縁のあるスポットをたずねてラリー完走です。 おつかれさまでした!

 

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寒くなってきましたが、

このブログと読んで『大江戸今昔めぐり』をお供に

江戸にまつわる街歩きをしてみてはいかがでしょうか。 

思わぬ発見があるかもしれませんよ! 

 

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