江戸のお金にまつわる場所を街歩き
もうすぐ10月1日。
消費増税を間近に控え、家計のやりくりに頭を悩ませている方も
多いのではないでしょうか。
江戸では、生活に欠かせないお金をどこで作っていたのか?
『大江戸今昔めぐり』から紐解いてみたいと思います。
(『大江戸今昔めぐり』はこちらからダウンロード!)
江戸時代には幕府が管轄する金座、銀座、銭座とよばれる組織があり
金座では金貨の鋳造や鑑定・検印を行い
銀座では銀貨の鋳造を、
銭座では銭貨の鋳造を行っていました。
右から2つ目のアイコン、キーワード検索から
まずは金座を探してみましょう!
スポット一覧に金座(現日本銀行本店)がありますね。
地図を表示してみると
確かに、今の日本銀行本店の場所に金座の文字が!
金座は、1595(文禄4)年ごろ徳川家康が京都の金匠 後藤庄三郎光次に
江戸で小判を作らせたのを初めに、幕末まで代々後藤家宗家が御金改役を
継いでいたとのことで、古地図にも御金改役 後藤吉五郎と記されています。
金座は1869(明治2)年の造幣局設立によって廃止となりました。
日本銀行は1882(明治15)年に設立されています。
当初は永代橋のたもと、今の中央区日本橋箱崎町にありましたが、
1896(明治29)年にこの場所に移転して現在に至っています。
次に銀座を探してみましょう!
上から3番目に銀座跡(蛎殻銀座)とあります。
蛎殻ということは・・・あの銀座ではないのでしょうか?
地図で見てみましょう!
この時代の銀座は、今の東京メトロ人形町駅近くにあったのですね。
当時の地名「蛎殻町」は、今でも近隣の「日本橋蛎殻町」という町名に
引き継がれています。
銀座は、1612(慶長17)年に駿府(今の静岡市)にあった機能を
江戸(京橋)に移しましたが、のちに不正行為が発覚。
1800(寛政12)年に銀座制度の改革が行われて蛎殻町に移転しました。
銀座も金座同様、1869(明治2)年の造幣局設立に伴い廃止となっています。
ちなみに、江戸に移った当初の京橋銀座の跡(銀座2丁目の中央通り沿い)には
「銀座発祥の地」の石碑が建っています。
最後は銭座を探してみましょう!
スポットには亀戸銭座跡が1件
ここの地図を表示してみましょう!
スポットから若干離れた亀戸天神の近くに銭座跡の文字が記されています。
(赤い楕円で囲ってあるところ)
銭座は、金座や銀座とは違い全国に開設されていましたが、
1772(明和9・安政元)年に廃止となって以降、
金座・銀座が銭座の役割も兼ねていました。
『大江戸今昔めぐり』の古地図は1856(安政3)年を基に作成しているので、
この時代にはすでに跡地として描かれています。
スポットの場所には当時の様子がわかるレリーフと
銭貨・寛永通宝を模した碑が設置されています。
江戸時代には、金座・銀座・銭座のほかに
金属を扱った銅座、鉄座、真鍮座や、薬用人参を扱った人参座など
さまざまな組織があったようです。
貨幣のことをもう少し知りたいなーと思った方は
金座の跡地・日本銀行向かい側にある貨幣博物館に
足を運んでみるのもいかがでしょうか。
古代から現代までのお金に関して詳しく展示されています。
なんと、1億円の重さを体感することもできます!
お金にまつわる歴史の奥深さを知るよい機会かもしれませんよ。
ではでは!
(『大江戸今昔めぐり』はこちらからダウンロード!)