江戸の米蔵「浅草御蔵」
新米が市場に出回り、お米のおいしい季節になりました!
そこで、今回は江戸のお米にまつわる場所を歩いてきました。
お米にまつわる場所...そこは蔵前です。
今は「ものづくり」の街として有名ですが、
江戸時代はどのような場所だったのでしょう?
蔵前1丁目の交差点に台東区が設置した旧町名由来案内があります。
この案内板によると、
江戸幕府が年貢として納められた米を収蔵する御蔵が
大坂、京都二条、江戸の三ヶ所あり、最も重要だったのは、
この付近にあった浅草御蔵(あさくさおくら)だったそうです。
集められた米は、領地を持たない旗本や御家人に給料として支給されるほか、
非常用の備蓄米として収蔵されていました。
米の現物を手数料を取って現金化する「札差」という商人や
米問屋が集まった浅草御蔵の前側は御蔵前とよばれ、
これが蔵前という地名の由来となっています。
江戸の経済の中心地ともいえる浅草御蔵の周辺を
さっそくアプリで調べてみましょう!
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浅草御蔵は、近くの鳥越の丘を削った土砂で大川(隅田川)沿いに造られ、
舟を引き入れる堀は一番から八番まであります。
蔵の数は67棟と、かなり大規模なことがわかります。
川沿いの端から端までの距離は600m近くあったようで、
現代の地図だと、蔵前橋を挟んだ赤い線で囲った区域にあたります。
地名由来案内のあった交差点から蔵前橋にむかって歩いていくと、
道の左側に浅草御蔵跡の石碑がありました。
(現代地図の①の場所)
浅草御蔵のあった場所は、この石碑のほか、何の痕跡もありませんが、
当時の様子を描いた絵図が掲示されていました。
(現代地図の②の場所)
絵図には蔵の間にも様々な樹木が植えられ、
川を往来する船も多く描かれていて、
現代の倉庫街より風情のある景色だったようですね。
古地図や絵図で目を惹くのは、四番堀と五番堀の間に描かれた
首尾の松(しゅびのまつ) です。
名前の由来は諸説あり定かではありませんが、
川の往来の目印となっていたり、釣りの穴場として有名だったそう。
アプリで「首尾の松」を検索すると
名所江戸百景(61)浅草川首尾の松御厩河岸
が見つかりました!
もしかして、当時と同じ場所に松が残っているのでは?
と思って川沿いを歩いたのですが、
あったのは、名所江戸百景をあしらった石板のみ...
ほかに痕跡をさがしてみると、
少し離れた蔵前橋のたもと(現代地図の③の場所)に
七代目といわれる松と石碑が建っていました!
橋の欄干の装飾にも首尾の松と船とおぼしきレリーフがあります。
地名をはじめ、石碑や首尾の松など、
浅草御蔵にまつわるものをたずねて歩いた蔵前
同じように江戸時代の事柄を由来とした地名は
ほかにもありそうですね。
だんだん涼しくなってきて散歩日和の季節がやってきました。
大江戸今昔めぐりをお供に街歩きを楽しんでみてくださいね!
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