大江戸今昔めぐり瓦版

江戸時代末期の朱引きを網羅した復元古地図を「完全描き起こし」! 現代の東京の地図と切り替えながら閲覧できる、画期的な古地図アプリです。

東海道・江戸への玄関口 ”高輪” で温故知新

ブログ連動スポットラリー

今回は第9回。

江戸府内への玄関口であった高輪を歩くラリーです。

それでは本編です!

 

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約ひと月前、山手線に49年ぶりの新駅『高輪ゲートウェイ』が

誕生しました。

新しい駅にも興味がありますが、

江戸時代の高輪はどのような場所だったのか?

『大江戸今昔めぐり』を頼りに歩いてみたいと思います。

 

まず最初は、地名と同じ名がついている

高輪神社をたずねました。

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交通量の多い旧東海道・国道15号を歩いていくと、

神社へつながる道の角に高輪神社の石碑が建っています。

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そこを左に入った先に高輪神社がありました。

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高輪神社の創建は室町中期の明応年間とつたわる、

高輪一円の総鎮守の神社です。

 

宇迦御魂神(うがのみたまのかみ)

誉田別命(ほだわけのみこと)

猿田彦神(さるたひこのかみ)

の祭神のほか、聖徳太子も祀られていて本殿の左に太子堂が建っています。

 

太子堂の前には、港区の文化財となっている『力石』があります。

『力石』とは、腕力・体力を鍛えるためや力較べなどに使われていた石のこと。

江戸時代には神社の祭礼時に奉納行事として力較べなどが行われていたそうです。

石の重さは一番重いもので五拾八貫目ということなので、

217.5kg!

持ち上げられた人はいるのでしょうか?

 

この神社には、江戸時代から残っているものが力石以外にもあり、

本殿前の狛犬は宝永6年(1706)に、鳥居は寛文7年(1667)に、

また、太子堂を囲む石塀は文政11年(1828)に奉納されたようです。

石塀には、当時かかわった石工の名前や関東大震災後に

修理を行ったことなどが刻まれているので、

江戸からつながる歴史を肌で感じられます。

 

現代ではビルに囲まれていますが、江戸時代には海が近かったので、

石段の上にある敷地からはかなり遠くまで見渡せたかもしれませんね。

 

次は泉岳寺にむかいましょう!

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泉岳寺は、高輪神社を出てから国道15号を北に向かい、

伊皿子坂を左に上ったところにあります。

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道路からはこの中門から入ります。

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中門の先には山門が見えます。

 

泉岳寺は、曹洞宗の寺院で、慶長17年(1612)に徳川家康

今川義元の菩提を弔うため創建されたそうです。

当初は江戸城近くの外桜田にありましたが、

寛永の大火(1641年)で伽藍が焼失。その後、この地に移転しました。

 

赤穂藩主浅野家の菩提寺ということで、

境内には赤穂四十七義士にゆかりあるものが多く残り、

毎年4月初旬と12月14日には義士祭も行われています。

 

古地図には高輪富士という文字と絵がありますね。

境内のどこかに富士塚があったのでしょうか?

残念ながら今は残っていないようです。

 

さて、ここからは坂を下って国道15号の向こう側の歩道に沿って

少し歩き、古地図に「牛町」とあるあたりに行ってみましょう。

現代に痕跡は残っていませんが、寛永11年(1634)の増上寺安国殿建立や

市ヶ谷見附の石垣普請のために重いものを運べる牛車が

工事が終わった後、ここに定住し多く集まっていたため

通称「牛町」(うしまち)と呼ばれていたそうです。

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ここは、海の眺望がよかったために、月見の名所として

有名だったそうです。

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スポットに近い交差点から撮った今の様子。

はるか先までビルが建っています・・・

現代では、海が遠くなってしまいましたね。

次は最後のスポット高輪大木戸跡です。

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大木戸とは、江戸時代、街道上に設けられた簡易的な関所にあたる施設で、

高輪(東海道)、四谷(甲州街道)、板橋(中山道

の3か所に設置されていました。

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高輪大木戸跡の幅5.4m・長さ7.3m・高さ3.6mの石垣は、

大木戸設置当時、同じものが東海道をはさんだ西側にもあり、

石垣の間には両開きの扉と柵、脇には板塀と木戸番小屋を設置されて

いたそうです。

 

大木戸の扉は暮六ツ(午後6時)から明け方六ツ(午前6時)まで閉じられて

江戸の治安維持と交通規制の役割を果たしていました。

その後、江戸後期になると大木戸は廃止されています。

 

今回は、高輪を歩いてみました。

室町時代から続く神社もあり、山手線で一番新しい駅もあり

古地図片手に温故知新に触れることのできる街でした。

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