宿場町でほっとひといき
こんにちは。
9月だというのに残暑厳しい日が続いていますね。
そろそろほっとひとやすみしたいなぁということで、今回は江戸四宿のうちの一つ、「板橋宿」にある「中宿」をお散歩してきました。
そもそも宿場町とは、平安時代ごろに主要な幹線道路沿いに集まった旅人のための宿が陸上交通の要として発達したところで、江戸時代に入ると参勤交代等により宿場町はより大きく発展します。
東海道の品川宿、甲州街道の内藤新宿、奥州街道の千住宿、そして今回出かけた中山道の板橋宿。各街道の起点となる日本橋から数えると、それぞれが一つ目の宿場町であり人や物流の重要な拠点となっていました。
早速中宿へ向けてお散歩です。
駅から出るといきなり片側三車線の幹線道路(国道17号線)。
これは参勤交代に使われるにふさわしい大きな道路だな。
って思ったあなた!!
実はそれ間違いです。
古地図で見てみましょう。
はい、なんと江戸時代はこの場所に道路はありませんでした。
現在の地図(右)で見たときに1本奥にある「旧中山道」が今回の舞台、江戸時代の中山道です。
中宿商店街のあちこちで、宿場町の名残を感じさせる粋な計らいが施されています。
中宿で休んでいた大名たちの馬もタピっていたのかと思いを馳せてしまいますね(ユニコーンでしょうか)。
商店街の片隅に、板橋宿本陣跡という石碑が立っていました。
本陣は大名や公家、幕府の役人などが宿泊する場所でその地域の名主などが宿を営んでいたそうです。本陣のほかには一般庶民が泊まる旅籠、寝る場所だけの提供となる旅籠よりさらに安い木賃宿などがあったそう。現代の高級旅館とゲストハウスのような感じですね。
また中宿と上宿の境目となる、地名の由来ともいわれている「板橋」も近くにあります。
この近くは文殊院や本陣跡、板橋など古地図でも見て取れる見どころが多いので歩いていて楽しいです。文殊院の遊女の墓なども見てきましたよ。
そしてラストはやっぱりあやかりたい縁結び。
ですが・・・こちらは「縁切り」で有名な「縁切榎」。
交差点の名前も「縁切榎前」なのですぐにわかります。
江戸時代は縁が切られてしまうのを避けるために、この榎の樹を避ける迂回ルートが作られるほどの影響力があったそうです。ですが、逆に男女の悪縁を切りたい際などはこの榎の樹皮をはぎ取り煎じ、ひそかに飲ませるとその願いが成就するとされ、霊験あらたかな神木として庶民の信仰を集めたそうです。また、近代以降は悪縁を切って良縁を結ぶ力があるということで人気を博しました。
今は樹皮をはがせないように竹でぐるりと守ってありましたが、しばらくは人からもらう飲み物は飲めそうにありません。ではまた!