雨の青山
雨が続く梅雨時は、傘やレインシューズなどで
おしゃれを楽しんでいる方もいらっしゃるのではないでしょうか。
今回は、傘に縁のある意外な場所を歩いてみました。
江戸時代、現代と同じ様式の和傘の主な生産地は
伊賀、紀州、岐阜などがありました。
上記の各藩が傘づくりを奨励したことで産業として盛んになりましたが
庶民の日常生活で使われるようになったのは、江戸時代中頃からのようです。
当時、新品の和傘は、竹で軸と骨を作り、
骨と骨の間に和紙を張って植物油で防水加工をするなど
職人により多くの工程を経て作られるため
今の価値にすると1万円を超える高級品!
そんな高級品を手にできない人々は
古くなった傘の骨に油紙を張りなおした張替傘を使っていました。
その張替傘の生産で特に有名だったのは
青山百人町と呼ばれた場所でした。
早速、古地図で青山周辺の様子を確認してみましょう。
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現在でいうと、東京メトロ外苑前駅から表参道駅までのあたりに、
江戸警護を目的とした鉄砲隊百人組の一つ甲賀組があり、
生活が苦しい下級武士が傘の張り替えの内職で
収入を得ていたと伝えられています。
今は、おしゃれな街として有名な青山・表参道ですが、
江戸時代にはリサイクル傘の産地であったというのは意外な歴史ですね。
左の古地図に青山甲賀百人組与力同心大縄地と書いてあります。
大縄地は同じ職務に就く下級武士に一括して与えられた土地なので、
与力・同心の役職に就く人々がこのあたりに住んでいたのでしょうか。
青山甲賀百人組とは、徳川家康からこの周辺の広大な土地を給地された
美濃国郡上藩藩主の青山家が預かっていた百人組です。
今もこの一帯が「青山」とよばれているのは
この青山家を由来としているようですね。
この古地図には青山大膳亮幸哉の名が記されています。
古地図の左端にある梅窓院は青山家の菩提寺で
現在も同じ場所(東京メトロ外苑前駅出口のすぐ横)にあります。
ビル街の中に手入れの行き届いた竹林があり、歴史を感じさせる寺院です。
江戸の鉄砲隊百人組は、甲賀組のほか根来組、伊賀組、二十五騎組と四組ありました。
今でも町の名前に残るのは「新宿区百人町」だけで、その他は町名の統廃合で姿を消しています。
各々の百人組のゆかりの地は今どうなっているのか、またの機会に街歩きをしたいと思います。
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