巣鴨で江戸の春を感じる
ブログ連動スポットラリー
今回は第8回。
巣鴨周辺で江戸の春を感じるラリーです。
それでは本編です!
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こんにちは!
今回はJR巣鴨駅からスタートです!
今ではすっかりおばあちゃんの原宿というイメージが強い巣鴨ですが、江戸時代の巣鴨は中山道最初の立場(たてば)、「巣鴨立場(すがもたてば)」があり、古くから商業の場として栄えていました。立場とは茶店や一膳めし屋などが軒を連ねる繁華街のことで、この巣鴨立場だったエリアが現在の「巣鴨地蔵通り商店街」です。
巣鴨立場には宿泊施設はなく、専ら近くの板橋宿から流れてくる人で賑わっていたようです。余談ですが板橋宿には吉原に次ぐ大きな遊郭があり、参勤交代などで訪れる地方の人だけでなく、江戸の各地から遊郭目当てにたくさんの人が訪れていたようです。
駅前の大通りから1本入ったこちらが旧中山道。古地図にもばっちり記載されています。
さて、駅前から旧中山道に入り北に数分歩くと右手に見えるのが高岩寺。
とげぬき地蔵で有名なお寺です。江戸時代には巣鴨ではなく、神田に開創されていました。その後上野への移転を経て、明治24年にここ巣鴨に移転してきました。
江戸時代、毛利家の女中が誤って針を飲んでしまった際、高岩寺の地蔵菩薩の御影を飲み込んだところ、針を吐き出し、出てきた針が御影に刺さっていたという伝説から「とげぬき地蔵」と呼ばれるようになったそう。今では「高岩寺」よりも「とげぬき地蔵」の名前のほうが有名ですね。
高岩寺でご利益があるといわれているのがこちらの「洗い観音」(誤解されがちですが、高岩寺のご本尊ではありません。ご本尊は秘仏のため見ることはできません)。
体の悪い部分に水をかけて、洗いタオルなどで拭くと悪い部分がよくなるといわれています。
(私は頭を良くしたくて水をかけたのですが、タオルで拭くのを忘れました。
残念ですがよくなりませんね。。はは。。)
続いて、巣鴨駅方面に戻ってくる途中にある「真性寺」。
東海道の品川寺などとともに江戸六地蔵といわれる地蔵の3番目のお地蔵さまが鎮座しており、中山道の旅の守りをしています。
1714年に京都の六地蔵にならって作られたもので、江戸時代には徳川8代将軍・徳川吉宗も狩りの途中にたびたび訪れたとされています。
私は地方の出身なのですが、東京にいると「徳川将軍が訪れた●●」が至る所にあり、感動を覚えることがよくあります。
ここ巣鴨でも例にもれず徳川ゆかりの地がありました。
それが「徳川慶喜屋敷跡」。
大政奉還をした徳川慶喜は、明治維新以降、静岡に屋敷を構えて静かに過ごしていたそうです。しかし1889年、東海道本線の開通を機に騒音を嫌って1897年、巣鴨に移転したのです。
徳川慶喜の巣鴨屋敷は数多くの梅が植えられていたころから「巣鴨梅屋敷」の通称で呼ばれていました。当時の巣鴨はのどかな風景だったようですが、移転してわずか6年後の巣鴨駅が開業したため慶喜は文京区の小石川へ再度転居しました。
繊細な人柄であったことがうかがえますね。
慶喜は梅を好んだようですが、屋敷跡のすぐ近くの川沿いには桜並木がありますので、桜の季節はまた巣鴨を訪れたいものです。