新国立競技場周辺にあった江戸の名残り
東京五輪観戦チケットの抽選販売が開始され
来年行われる大会にむけて気分が盛り上がる今年の夏。
江戸時代、このあたりはどんなところだったのか気になりまして、
11月末の完成を目指して仕上げの工事が進む
新国立競技場の周辺を歩いてきました。
まずは『大江戸今昔めぐり』アプリでチェック!
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新国立競技場辺りを古地図で見てみますと、
寂光寺、そして御焔硝蔵の2つが多くを占めています。
さらには寂光寺に描かれた松の木が目を引きますね。
さて、現地に足を運んでみますと、
なんと!この松に縁のある木が
新国立競技場と絵画館の間に残っていました!
松の木が!傍らには案内板があります。
案内板の文章によると、
徳川三代将軍家光が鷹狩りの途中、寂光寺で休んでいたところ
江戸城から飛び去っていた愛鷹「遊女」が庭前の松の枝に
とまったため、家光は大変喜び、この松に愛鷹の名前をとって
「遊女の松」と名付けたそうです。
「遊女の松」は「お鷹の松」「霞の松」とも呼ばれており、
何回かの移設を繰り返し残っているとは、興味深いことですね。
ちなみに松の木はさすがに初代のオリジナルではないとのことです。
あー驚いた。
それにしても愛鷹「遊女」とはすごいセンスです。
古地図にあったもう一方の御焔硝蔵(鉄砲弾薬等の貯蔵庫)は
影も形もありませんでした。。。
明治時代には練兵場、明治天皇崩御後には明治神宮の外苑として整備され
今では、神宮球場や秩父宮ラグビー場などのスポーツ施設や銀杏並木など
家族連れで楽しめる地域になっています。
開発が進み、地図上で過去の街並みが残っていなくても
探してみると意外な発見がありますね。
みなさんも街歩きを楽しむ手がかりを
『大江戸今昔めぐり』で探してみてはいかがでしょう。
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