大江戸今昔めぐり瓦版

江戸時代末期の朱引きを網羅した復元古地図を「完全描き起こし」! 現代の東京の地図と切り替えながら閲覧できる、画期的な古地図アプリです。

近代教育発祥の地をたずねてみました

2月は受験シーズン。

勉強に関連する江戸時代のスポットといえば

昌平坂学問所が思い浮かびます。

 

昌平坂学問所林羅山の私塾(儒学)が起源となった

江戸幕府直轄の教育施設として有名ですね。

JR御茶ノ水駅近くの神田川沿いを

『大江戸今昔めぐり』で確認してみましょう!

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アプリで昌平坂学問所」を検索して、地図を見てみましょう。

(虫メガネアイコンから検索!)

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昌平坂学問所」「聖堂」「講堂」「学寮」の文字が読み取れます。

 

文京区設置の案内板によると、「昌平」は、聖堂に祭られている

孔子の生地「昌平郷」に因んで名づけられたもので、

当時、学問所を囲む三つの坂を全て「昌平坂」と呼んでいたそうです。

 

古地図では神田川沿いの道だけが「晶平坂」と書いてありますが、

その坂は、現在「相生坂」と呼ばれています。 

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①は相生坂、②は昌平坂です。矢印の方向に上っています。

薄緑色の屋根のある敷地を囲む塀が段になっているので、

坂の様子がわかりますね。 

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坂下から見上げた風景

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相生坂の上側の様子

この相生坂を下った敷地の角に

「古跡 昌平坂」の石碑があり、

この石碑を、神田明神方面に登る道が現在の昌平坂です。

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この辺りは、神田川の流路を付け替えるために、

本郷台地を切り通して湯島台と駿河台に分け、

お茶の水に人口の谷を開削した歴史があります。

 

実際に出かけてみると意外なほど高低差があり、

坂の上と下で見える風景も変わってきます。

江戸時代には、もう少し遠くまで景色を見渡せたでしょうね。

 

身近な場所で気になるところを見つけて

街を歩いてみると新しい発見がありそうですね。

 

 

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