大江戸今昔めぐり瓦版

江戸時代末期の朱引きを網羅した復元古地図を「完全描き起こし」! 現代の東京の地図と切り替えながら閲覧できる、画期的な古地図アプリです。

土用の丑の日にちなんだ街あるき

こんにちは!

7月27日(土)は土用の丑の日ですね。

 

今では

土用の丑の日=うなぎを食べる日

というイメージがありますが

土用の丑の日にうなぎを食べるようになった由来はなんでしょう?

 

諸説ありますが、一番有名なのは

平賀源内が知り合いのうなぎ屋のために

丑の日に「う」のつく食べ物を食べると夏負けしない

という言い伝えをヒントに

「本日丑の日」

と紙を貼るように勧めたところ大繁盛したから

という説です。

 

平賀源内は、高松藩士白石良房の三男で

名を国倫(くにとも)といいました。

家督を継いだ際に姓を祖先の姓である「平賀」とし、

「源内」という名は通称なのだそうです。

 

学者、発明家、鉱山開発、戯作者、俳人など

多方面で才能を発揮していましたが

51歳のとき、ある勘違いから起こした事件により投獄され

その後、獄中でなくなったそう。

 

平賀源内が埋葬された寺は浅草の総泉寺

早速、アプリで確認してみましょう!

 

 (アプリをダウンロードしてない方は、こちらから)  

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古地図の左側に総泉寺の文字が見えますね。

総泉寺は、現在、板橋区に移転していますが

平賀源内の墓だけは今でも寺のあった場所に残っています。

(現代の地図の印の場所)

 

早速、訪ねてみましょう!

 

JR南千住駅から15分ほど歩いた住宅地の中に

突然築地塀が現れます。

ここが平賀源内の墓がある場所です。

 

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1943(昭和18)年に国指定史跡となっていますが、

扉が開錠されている時は、中に入ることができます。

 

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扉を開けて左奥に見える瓦屋根の下に

平賀源内の墓と従僕・福助の墓があります。

 

土用の丑の日が近いからでしょうか、

この日は何人かの方がお参りをされていました。

 

住宅地の中とはいえ樹木が多いため、

夏場のお参りの際には、虫よけスプレーなどで

対策されることをお勧めします。

 

お参りの後、お墓のある同じ区画を歩いてみると、

明治通り沿いには、うなぎ・天ぷら料理のお店がありました!

(残念ながらこの日は定休日...)

 

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この近くには、浅草七福神の橋場寺不動院(橋場不動尊)や

玉姫稲荷神社もあるので、少し足を延ばして

街歩きを楽しむのはいかがでしょう。

 

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