大江戸今昔めぐり瓦版

江戸時代末期の朱引きを網羅した復元古地図を「完全描き起こし」! 現代の東京の地図と切り替えながら閲覧できる、画期的な古地図アプリです。

品川のデッパリをめざしたら、ゴジラがいた。

 

 

 

みなさん、こんにちは。秋晴れの日が多くなりましたね。

青空のもと、大江戸今昔めぐりを片手に散歩がはかどる季節です。

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秋の陽気を感じながら古地図をぐりぐりしていると、東海道品川宿の海岸線に並行する河口と海に飛び出した「デッパリ」が目に留まりました。

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デッパリは明らかに人間が作ったと思われる幾何学的なカタチをしています。

ウワァーーーー。気になるぅ~~~

 

現在の地図と比較してみると、北品川と天王洲の間くらいに位置してます。

品川沖は開発が進み天王洲やお台場と埋め立てが進んでいますが、デッパリの輪郭は道路として残っているようです。

そして河口を形成したのは目黒川ですね。目黒川って、こんなに急カーブしてたんだ・・・。

そんな河川の跡も現在の道路形状に見て取れます。

 

このデッパリ、古地図では紫色をしているので、どうやら幕府の施設のよう。

拡大してグリっと回してみると・・・

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なるほど☆彡

御殿山の下の砲台があった場所なんですね。

河口の突端には弁天さまも祀られていたようです。

 

なんとなくデッパリの正体が分かってきたところで、この台場の歴史を探るべく、

さっそく江戸のウォーターフロントに向かってみます。

 

 

【1】いざ、東海道品川宿

 

品川の砲台跡を探す舞台は東海道品川宿日本橋を出発して最初の宿場町になります。

板橋宿(中山道)・内藤新宿甲州街道)・千住宿(日光・奥州街道)とならんで江戸四宿と呼ばれ、東海道の玄関口として栄えました。

 

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広重/東海道五拾三次 品川 日之出

 

ちなみにこの品川宿、「北の吉原・南の品川」という名誉な呼称もあったようです。

(・▽・)

オトナの歴史に造詣のある紳士淑女のみなさま、「南の品川」をぜひ教えてください

 

宿場町は現在の品川駅の南側に位置し、今も旧街道にその面影を残しています。

 

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 電車でのアクセスだと、品川駅から京急線でおとなりの北品川駅が旧街道にアプローチしやすくなってます。

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銭湯の煙突がシブいですね。

 

北品川駅の改札を出ると、さっそく目の前に案内版がありました。

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案内板の地図には、お目当てのデッパリもしっかりありました。

今は小学校があるようです。

 

【2】聖地・品川

 

そして・・・そんな品川区が作った案内板に気になるものを見つけてしまいました・・・

 

↓↓↓それがココの部分↓↓↓

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_人人人人人人人人_

ゴジラ上陸地点 <

 ̄Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y ̄

 

ゴジラ・・・。ここに上陸したんですね。

せっかくなのでゴジラ上陸地点にも立ち寄ってみます。(カンペキな寄り道)

JR線をまたぐ八ツ山橋と京急線の交差するあたりに向かいます。

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 ここですね。ゴジラの聖地「八ツ山橋」。今日の東京は平和です。

 八ツ山橋のすぐ近くの案内板にも「ゴジラ上陸地点」がピンポイントで示されていました。

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どうやら、ゴジラの上陸は品川区も公認のようです。

 


 

【3】弁天社、あらため、利田神社

 

ゴジラ推しの八ツ山橋を背に八ツ山通りを進み、台場を目指します。

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おぉ~。屋形船がたくさん停泊してます。

高層ビルと屋形船のコントラストが素敵ですね。

 

ここはしながわ百景のひとつ「品川浦と船だまり」。

ちょうど昔の目黒川の河口だったあたりです。

 

そして橋を渡り、いざ、台場へ!

 

たしかに台場の輪郭に道はありました♪

江戸時代からある埋立地のフチを歩いていると思うと感慨深いものがあります。

 

細い路地を進んでいくと、古地図に描かれていた弁天さまの場所に神社がありました。

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「利田神社(かがたじんじゃ)」

 

海に突き出た目黒川の河口に沢庵和尚が弁財天を祀ったことが始まりと伝わっている弁天社で、広重の浮世絵にもその社殿が描かれています。

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広重/江戸名所百景 品川すさき

 

現在の御祭神は、水や海の神である「市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)」。

各地の神社で弁天さまとの習合がみられる神様です。

もともと洲崎弁天と呼ばれていましたが、明治の神仏分離令でこの地の開発に尽力した「利田(かがた)利兵衛」の姓から社号を「利田神社」と改めました。

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拝殿の提灯には「福壽辨財天社」と、弁天さまが見て取れました。

神紋は「波に三つ鱗」。弁天さまの紋です。江島神社厳島神社でも見れますよ。

ちなみに、「三つ鱗」は魚のウロコではなく、龍が落としたウロコと伝わっています。

 

 

【4】いよいよ台場の正体に迫る

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弁天さまに一礼して、台場の大部分を占める小学校に向かいます。

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 「品川区立台場小学校」と「台場幼稚園&台場保育園」に到着!

校門のわきに灯台のオブジェがありました。

 

よく見ると・・・

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「御殿山下台場(砲台)跡」 ここですねっ!説明書きがありました。

 

曰く、

「江戸時代、鎖国してたのにアメリカからペリーが来てビックリし、東京湾に砲台をたくさん並べようとしたんだけど、全部造りきれなかったからこの地に台場を造った。」

ということのようです。灯台はレプリカですね。

 

そして、幕末に作られたこの「台場」は、御殿山を削った土で埋め立てられたとのこと。

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品川歴史館の資料には「品川台場土取場跡」という記載が御殿山の外縁に見え、広重の浮世絵にも削られた御殿山と沖の台場をみることができます。

 

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広重/五十三次名所図会 二品川 御殿山より駅中を見る

 

と、ここまでで品川台場の歴史は分かりましたが、どうしても土を取ってきた御殿山が気になります。今はどうなってるんでしょうか。


 

【5】削られた御殿山

 

御殿山といえば、古く江戸初期には品川御殿があった場所で、将軍も訪れる休息所でした。桜の名所でもあり、今は閑静な住宅地の中に美術館などが点在するエリアです。

 

台場を後にし、旧街道を通って御殿山の土砂採取場跡地を目指すことにします。

旧街道は沿岸部を通っていました。

台場側から街道に向かってやや上り坂になっているこの部分、江戸時代は砂浜だったのかもしれません。

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御殿山の台場建設用土砂は、現在の北品川駅前付近(品川女子学院)からJRの線路をまたぎ御殿山庭園までを掘削したように推定され、地形図から削れている様子をうかがい知ることができます。

f:id:oedo-konjaku:20191114134617p:plain旧街道を横切り、御殿山のふもとに到着しました。

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国道15号線から西に伸びる御殿山通り入口です。

この通りの北側から、御殿山庭園にかけて土砂を採取した場所と推定されます。

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品川駅に向かってたくさんの鉄道が往来する線路。

切通し状になっていることから、土砂を採取された場所かもしれませんね。

 

そして線路を渡ると通り沿いに窪地になった庭園があります。

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 御殿山庭園です。

道路からくぼんだ地形を利用して滝が流れています。

ここも幕末期に台場建設のために土砂を採取された場所なんですね。

 


 

【6】品川神社から宿場町を一望

せっかく御殿山まで来たので、高台からの宿場町を眺めたく最後に品川神社に参拝してきました。

 

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鳥居がカッコイイ・・・

品川神社国道15号線に面した高台に鎮座し、参道はいきなり階段で始まります。

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800年の歴史がある神社で、御祭神は天比理乃咩命(あめのひりのめのみこと)です。

品川神社の境内には富士塚があり、頂上までのぼると品川宿が一望できます。

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江戸時代はすぐそこに海があったんですね~。

 

今回の品川宿探索では、古地図にあらわれた「デッパリ」こと品川台場の成り立ちを知ることができました。(あと、ゴジラの上陸地点)

 

★今日のまとめ★

  • ペリーが来てビックリした
  • 幕府は大砲を設置することにした
  • 御殿山を削って品川台場を造った

 

旧街道を散策すると、このあたりは寺院が多いことが分かります。

御殿山の裾には、弁天さまを祀った沢庵和尚の東海寺など、周辺には現存する寺院も多くあります。今回の舞台になった品川宿とお寺を巡る散策もみごたえがありそうです。

 

f:id:oedo-konjaku:20191115152745p:plain品川宿周辺の寺院(ピンク色の敷地が寺院)

 

【オマケ】

品川神社を参拝し、今回の探索を終えたところで、ちょうど陽が傾きはじめました。

たくさん歩いて、のどがカラカラになったので、台場を散策している途中に気になった場所へ向かいます。

 

f:id:oedo-konjaku:20191115152836p:plainはい、またゴジラ

ゴジラが、お出迎えするお店「一龍屋台村」です。

 

舟だまりから台場跡に渡ったとき、船宿が並ぶ通りの先にゴジラを見つけていました。

昔の台場のフチあたりに位置するところで、運河越しに見える現代の景色がキレイですよ♪

 

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