豆まきで「鬼は内」!? 節分に 鬼にかかわる寺社をたずねる
ブログ連動スポットラリー
今回は第5回。
節分に 鬼にゆかりのある寺社をたずねるラリーです。
それでは本編です!
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2月3日は節分。各地で豆まきが行われますね!
節分とは、季節の分かれ目を意味し、
昔は、季節の変わり目に邪気(鬼)がおこりやすいと考えられていて、
旧年中の厄や災難、邪気を追い払うために、
生命力のある穀物 豆=魔滅(まめ)をまくことが
豆まきの由来だそうです。
豆まきの一般的な掛け声は
福は内! 鬼は外!
ですが、
福は内!
だけ、または
福は内! 鬼は内!
という寺社があります。
今回は、鬼にやさしい掛け声で豆まきをする
そして、
稲荷鬼王神社を
たずねます。
まず最初は、江戸三大鬼子母神のひとつ
JR鶯谷駅と東京メトロ日比谷線入谷駅の間にある法華宗の寺院です。
この写真の正面に見える御堂が鬼子母神堂です。
鬼子母神は、もとは、激しい性質を持ち、人間の子を奪って食べてしまう
悪い神だったのですが、お釈迦様が鬼子母神の末の子を隠し、子を失う悲しみを
もって過ちを悟らせ、改心させたことで子供と安産の守り神となったそうです。
よく見ると、鬼子母神の「鬼」の字の一画目のツノの部分が書かれていませんね。
鬼ではなく守り神となったことでツノをとった字が使われているということです。
鬼が守り神ということで、入谷鬼子母神の節分会(豆まき)の掛け声は
福は内! 悪魔外!
悪魔を退散させる豆まきに参加してみたいですね!
悪い気を祓って、境内にある下谷七福神の福禄寿の御利益を受けましょう。
また、毎年七夕前後には、昨年このブログでも紹介した「朝顔市」が開かれるので、
活気あふれる下町のお祭りを体験したい方は夏にも訪れてみてはいかがでしょう。
次は、豊島区雑司が谷にある法明寺の鬼子母神堂(スポット2)へ!
都電を鬼子母神前駅で降りるとすぐそこに、
この並木は、東京都指定天然記念物なんですね。
現在は、徐々に若い木に植え替えられていて、
大径のケヤキは数本しかないそうです。
大きな木を探しながら並木沿いに歩みを進めていくと
鬼子母神堂に到着!
奥に見えるお堂が鬼子母神堂です。
敷地内には鬼子母神堂のほか、不動堂や稲荷堂、
樹齢約700年といわれる大公孫樹(おおいちょう)、
また、創業1781年(約240年前!)の駄菓子屋「上川口屋」もあり、
老若男女問わず、外国からの観光客も多く訪れていました。
こちらでの豆まきの掛け声は
福は内!
豆やお菓子の入った5色のぽち袋がまかれますが、
一部のぽち袋には福神様が入っているそうです。
今年一年の運だめしをしてみてはいかが。
さて、次は最後のスポット稲荷鬼王神社へむかいます。
神社のご由緒によると、
古来、「鬼」は神であり、災禍を祓う力があるといわれ、
その鬼の王様という「鬼王」と名のある社寺は全国でここだけ。
この神社では豆まきの際に鬼は「春の神」とされていて
福は内! 鬼は内!
と唱えます。
境内には、
浅間神社(西大久保の厄除け富士)
もあり、訪れる方が途切れずいらっしゃいます。
そのほかに
文政年間に造られた新宿区指定有形文化財の珍しい水鉢や
水琴窟など見どころが盛りだくさん。
東京の繁華街 新宿歌舞伎町 の近隣にあるとは思えない
落ち着いた雰囲気の神社でした。
鬼というと悪者のイメージで捉えがちですが、
鬼は外と言わない 節分の豆まきを体験されてはいかがでしょう?
みなさんも
大江戸今昔めぐりをお供に街あるきを楽しんでくださいね!
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桜の季節を楽しみに
ブログ連動スポットラリー
今回は第4回。
江戸時代から続く桜の景勝地・王子周辺をめぐるラリーです。
それでは本編です!
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新年あけましておめでとうございます!
本年も大江戸今昔めぐりをどうぞよろしくお願いいたします。
今回は2020年初ということで、初詣に関する記事です。
東京の神社の中でも私の一押しである、東京都北区王子「王子神社」に行ってまいりました。
東京メトロ南北線も通っておりバスターミナルも併設されている大きな駅です。
ちなみにこのあたりを古地図でみると
田畑に覆われた地域だったんですね。
古地図で気になるのが緑色の地図内、ひときわ目を惹く桜並木!
この桜並木、名所「江戸百景(19)王子音無川えんたい」にも選定されています。
大江戸今昔めぐりにもばっちり記載されていますよ~
飛鳥山もキレイですがそこまでいかずとも王子駅の裏通り、音無親水公園は桜の季節、大勢の人でにぎわいます。音無川は江戸時代の浮世絵にも数多く描かれている由緒ある景勝地なんですよ^^
想像力を駆使して心の目で桜を見ながら駅から徒歩5分ほど歩くと「王子神社」につきます。
今もとても立派ですが大江戸今昔めぐりで見ると、江戸時代はさらに広大な敷地を有していたことがわかります。
王子神社は源頼家が奥州征伐の際に慰霊祈願を行ったという言い伝えがあり、古くから聖地として崇められていたそうです。その後(1322年)領主豊島氏が紀州の熊野三社より王子大神をお迎えし、熊野に倣って景観を整えました。
江戸時代には初代将軍の家康公が朱印地二百石を寄進し将軍家祈願所と定め、
「王子権現」の名称で江戸名所の1つとなりました。
特に八代将軍徳川吉宗は紀州徳川家の出自で、紀州ゆかりの神社があることをたいへん喜び、1737年に飛鳥山を寄進し、桜を多く植えて江戸庶民遊楽の地としました。
これが飛鳥山公園の桜の由来で、これを一つのきっかけとして庶民のお花見は「豊作を願う儀式」から「庶民が集い桜を楽しむ」スタイルに変わっていったそうです。
王子神社に参拝した後は、徒歩5~10分ほど離れた王子稲荷神社へ足を延ばします。
関東稲荷奏総社の格式を持ち、江戸時代より庶民に親しまれた王子稲荷神社。
年末に行われる「王子狐の行列」をご存知の方も多いのではないでしょうか。
最近のお祭りでは海外の方が多く訪れ、インバウンド人気も抜群です。
稲荷の使いである狐が近くの榎の下で身なりを整えてこの神社に初詣をするというかわいらしい言い伝えがあり、実際に神社の中にはたくさんの狐さんがいます。
暖かくなったら大江戸今昔めぐりアプリをもって王子を散策しませんか?
桜の季節はもう目の前です!
便利?不便?隅田川に架かった5つの大橋
ブログ連動スポットラリー
今回は第3回。
遥か江戸時代から隅田川に架かる5つの大橋を網羅するラリーです。
それでは本編です!
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みなさんこんにちは。
最近になってようやく本格的な冬がきたと思ったら
あっという間に年の瀬。
「瀬」という言葉には
「川の流れの急な所」といった意味があるそうで
その言葉のとおり、年末というだけで
なぜだか心が慌ただしく忙しないですよね。
それはきっといつの時代も同じで、
せっかちで知られる江戸っ子の年末年始も
超々大忙しだったのではないでしょうか。
そんなせっかち達の悩みの種?だったのが
交通の便ではないでしょうか。
とくにこの「隅田川」は大きく広く
大江戸の内と外との境界線になっていました。
旧くはこの川を渡るための船着き場や渡し船が整備され、
「隅田川の渡し」として多くの人に利用されていましたが、
江戸幕府が興って以降、防備上と利便性の観点から、
江戸時代の間に5つの大きな橋が架けられました。
今回は、
この5つの大きな橋を、
下流から上流に向かって散策しました。
それぞれの橋の違い、街並みや空気の移り変わり、
また架橋当時の風景に思いを馳せながら散策しました。
~
まずは下流から数えて1つ目の橋(江戸末期当時)
「永代橋(えいたいばし)」を散策。
門前仲町駅からほど近く、都心と下町をつなぎ、
橋を渡ると違う世界を行き来したような感覚も。
←これは言い過ぎだけど、それくらい街並みが変わる
とくに日没からはライトアップされた街並みを
360°見渡せる夜景スポットにもなっています。
~
続いて向かうのは、
下流から数えて2つ目の橋(江戸末期当時)
「新大橋(しんおおはし)」です。
この橋は以前にもブログで紹介しましたが、
当時と現代とで橋の架かる場所が違っています。
また、上で紹介している「大はしあたけの夕立」の絵は、
あのゴッホが大きな影響を受けたとされています。
ゴッホが実際にこの橋に来た可能性は極めて低いですが、
きっとこの絵から何百回、何千回と
「新大橋」の景色を想像したことでしょう。
~
続いて向かうのは、
新大橋から上流へ向かい少し歩いて15分。
川辺に沿ってずっと歩いて行けるので気持ちがいいです。
下流から数えて3つ目の橋(江戸末期当時)
「両国橋(りょうごくばし)」です。
2つの国にまたがっていたことから俗に両国橋と呼ばれ、
その俗称が今も地名として残っています。
また、上の江戸百景の絵からもわかるように、
当時は木橋で損傷や焼失が多くあったそう。
いまでこそ鉄橋(コンクリート)なので車の往来も盛んですが、
木橋だったら絶対NGですよね。ひとたまりもなさそうです。
~
続いて向かうのは、
両国橋最寄りの浅草橋駅から電車に乗って二駅。
浅草駅の目の前!
下流から数えて4つ目の橋(江戸末期当時)
「吾妻橋(あづまばし)」です。
ここは言わずと知れた観光地、
浅草のメインブリッジ?と言っても過言ではないでしょう。
多くの観光客が訪れ、橋の欄干はいつも人でいっぱい。
記念写真を撮る人であふれています。
念のため筆者も一枚。定番を詰め込んでみました。。。
肝心の「橋」はというと、、補強工事中。
これからも多くの人々の往来と観光を支える所存です。
の声が聞こえてきそうですね。
~
続いてはちょっと離れて、
浅草駅から電車に乗って一駅。
南千住駅から歩くこと約10分の場所。
当時の隅田川における最上流の橋
「千住大橋(せんじゅおおはし)」です。
この橋は、隅田川に架けられた最初の橋と言われています。
この場所は東西の川幅が広いのに対し、
架橋された場所は川幅が狭いので流れが急で、
工事が難航したであろうことが容易にわかります。
河川の整備も進み、いまはこんなにも穏やか。
また、橋のふもとには「足立市場」もあり、
早朝などは流通の要所として機能しています。
壁にはこんなグラフィックも。
この千住大橋は、かの有名な、
「おくの細道」の始点としても有名ですが、
それはまた別の機会に。
~
ここまで5つの橋を巡ってきましたが、
いかがでしたでしょうか。
この大きく広い川を足で渡れる場所が5か所しかない
というのは、相当不便だったと思います。
ただ、江戸以前はこの5橋すらなく、
さらに不便だったことを考えると、
川の内外には相当な恩恵があったことと思います
ちなみに令和の隅田川に架かる橋はこんなかんじ。
(高速道路による架橋を含みます)
いまや内も外も関係なく、
おなじTOKYOとして人も物も、
そして生活そのものが交流しています。
江戸から東京にかけての超高度成長に
燃料を送り続けた大動脈(隅田川に架かる橋)は
今も昔も人々を支え続けています。
そんな成長著しい忙しい毎日でも、
年末年始のお休みくらいはゆっくりと、
大事な人と古地図片手に「歴史散歩」をたのしんで。
みなさま良いお年をお迎えくださいませ!
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旧東海道を歩きのんびり紅葉を堪能する
前回より始まったブログ連動スポットラリー
今回は第2回。旧東海道を歩きのんびり紅葉を堪能するラリーです。
それでは本編です!
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皆さんこんにちは!
一気に寒くなって秋になりましたね~
実は、私、古地図を使っていて絶対行きたかったところがあるんです!
それが、こちら!
桜の記事を書いているときに「紅葉名所」なるお寺を見つけたのです!
ちなみに「かいあんじ」と読みます(笑)
古地図のマークの通り、江戸時代に紅葉の名所として知られていたみたいです!
海晏寺の錦絵にも紅葉の様子がありますね。
ということで!
この景色を求めて行って見ました!
青物横丁駅のすぐそばなので、当時は横が海。
この辺は埋め立ててあるので
紅葉×海の景色は…見られないなぁ。
残念です。
駅前のお寺だから~
うん?
ちがくね?
「かい”あん”」じゃね?
海晏寺の横に海雲寺。
まぎらわしいわぁあああっ
でも立派だなぁっ
こちらもぜひ行って見てください(笑)
海雲寺を出て歩くと、またお寺が。
紅葉だ~きれい~
そしてそして、筆者大好き馬と犬!
この品川寺というお寺の名前・・・
「しながわ」じゃないくて「ほんせん」って読むんですね!
てかこの木、樹齢600年!?
確かにでっけぇ・・・(笑)
以前このブログで紹介した、赤坂の氷川神社のイチョウ(樹齢400年)より
更に200年先輩!(もはや意味わかんないw)
品川寺すごい!!
もっと古地図で目立たせるようにお願いしとかなきゃですね!
こんな風に、ぶらぶら歩いているだけで歴史あるものに出会えるのも
古地図ならではの楽しみ!
さて、寄り道を楽しんだ後は、本日のメイン海晏寺の方へ!
あってるあってる。
ここは、海雲寺より内陸にあるので
海との画像は無理だなぁ。
てか紅葉まだかあああ!!!!(笑)
でも、諦められない!
海晏寺の紅葉と海のコラボレーションが見たい!
江戸時代の人が見ていた景色をもう一度!
私の得意技、合成(←ずるいw)で再現できる写真を撮ろうではありませんか!
本気でいいアングルをみつけますよ~
この木、似てる!
でも、奥から門にかけてのアングルが正解なんですよねぇ…
木の本数と、アングル的に言うとこの写真ですかね!
こちらで合成!
そいや!!!
イイ感じじゃないでしょうかw
令和版「補陀落山 海晏寺」!認定です!
(勝手に)
皆さんもぜひ古地図を見て寄り道しながら
紅葉、楽しんでみてください!
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